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[C177] 愛のスカイライン

 トシさんへ

 このキャッチフレーズは強烈で世の中に浸透しましたね。
 1500の発表会を夏休みのアルバイトが終わってから見に行きました。
既に終わっていましたが、中年のオジさん・・・(今の俺より若かったけど (^^;))がシャッターを開けて見せてくれました。
 プリンスの新車なのに新技術が何も無かったのが悔しくて、川又克二を恨みました。
  • 2009-10-14
  • 投稿者 : 藤 重行
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[C172] 愛

 キャッチフレーズが前面に押し出された最初の車だったような。
この車に対抗するためトヨタが必死でしたね。
GT-Rが出るまではナンパな車だと思っていました。
  • 2009-10-13
  • 投稿者 : トシ
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愛のスカイライン (SKYLINE) 【C10】 

表紙-s


 プリンス自動車が1965年に日産に合併された後、S50シリーズスカイラインは『日産プリンス スカイライン』のブランドで販売を継続していたが、1968年8月のモデルチェンジで『日産スカイライン』になった。
 S40型グロリアに似たモールを多用したシンプルなデザインのボディーは一回り大きくなり、コロナ、ブルーバードとルーチェ、フローリアンの中間的サイズで、ホイールベースはコロナ、ブルーバードの2,420mmより長い2,490mmでとルーチェ、フローリアンの2,500mmに迫る長さだった。
 デザイン上の特徴は表面を摘んだ様な張り詰めたウエストラインと後に『サーフィンライン』と呼ばれる様になったドアアンダーとホイールハウス上部を斜めに走るプレスライン。
デザイナーは旧プリンス自動車の森典彦氏で、定かではないが初代プリンススカイライン(系列的にはグロリア)のサイドモールのデザインが基礎になったのでは無いかと言われている。
この強く盛り上がったラインのプレスは技術的に難しく、修理をする際には板金屋泣かせになった。

なおこのカタログは1800シリーズが追加された初マイナーチェンジ後のものである。


1800サイド-s

1500サイド-s

フロント-s

S-Dx 室内-s

デラックスF-s

Dx-F 室内-s

リア-s

スポーティーDx Op-s

エステート-s

 名前は日産スカイラインだが4気筒車のエンジンは幸いにも合併前に開発が進んでいた為に日産のL型ではなく、プリンス製のG15搭載が認められた。
これはローレルの存在が大きいと思われる。
製品化されて間もないG型エンジンの採算は、ローレルも村山工場で生産される事が決まった事で有る程度の量産が見込めると判断にされたためであろう。
 このエンジンの開発は日産のL型より早かったがグロリアのG7型が優先されたため製品化が遅れたものだった。
バルブ配置は同じOHCでもL型を始め多くの国産車が吸・排気をシリンダー上部に一列に配置したカウンターフロー型だったのに対しG型は2つのバルブをV型に配置したクロスフロー型。
この配置は構造的にやや複雑にはなるが、吸排気の流れがスムーズになり、吸入時にシリンダー内の混合気が攪拌されるために燃焼効率が良くなる基本的なポテンシャルの高いエンジンだった。

エンジン-s

G15性能曲線-s

G18性能曲線-s

 メンテナンスフリーも更に進化し、ラジエーターの冷却水は4年間交換不要、足回りのグリスアップは10万Km不要になっていた。

メカ-s

安全装備2-s

安全装備-s

 S50型から始まるスカイラインは本来グロリアの下に位置するファミリーカーだったので、合併した日産のブルーバードと競合関係にある。
C10型の発売当初1500ccの4ドアセダンのみで、誰が見てもスカイラインの方が格上だが、日産ではブルーバードより下のポジションに置き、積極的に販売する意志は無かった様だ。
1500の販売開始の2ヶ月後あの『箱スカ』2000GTが発売され、東京モーターショーではプリンス技術の集大成、GT-Rが発表されると人々は次第にスカイラインの存在に気付き始めた。

 翌’69年8月。ローレルに先行搭載されたG18型エンジンを載せた1800シリーズが発売され、1500もマイナーチェンジされフロントグリルとテールランプが変わったが、何よりも大きく変わったのは販売戦略。
  この頃旧プリンス車の販売は日産自動車ではなく、プリンスの100%子会社の日産プリンス自動車販売が担当していた。
少ない予算をスカイラインに集中させ、大勝負に打って出た。
スカイラインは本来、硬派な男っぽさを感じさせる車だったが。それを打ち消す様な『愛のスカイライン』を発信した。
 これは『愛』=『SEX』とストレートに結びつけられる危険性が有ったが、赤いハートのマークを目にするうちに、
“車を全く知らない女の子でもスカイラインだけは知っている”
という現象が出てきた。
発売当初は一部のプリンスファンから支持されるだけだった車がこのキャンペーンが始まった’69年には予想以上の爆発的ヒットとなり、継子のスカイラインは日産の代名詞になる車に成長していった。
 これはプリンス技術者の意地とプリンスを愛する販社の情熱が一つになって社会にまで影響を及ぼした結果だと思います。


スペック-s

図セダン-s

図エステート-s

日産プリンス自動車販売-s


【参考資料】

DATSUN ダブルピック-s
サーフィンラインと同じ技術を応用したと思われる620型ダットサンのダブルピックアップ。
アメリカ向にかなりの数が輸出された。

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[C177] 愛のスカイライン

 トシさんへ

 このキャッチフレーズは強烈で世の中に浸透しましたね。
 1500の発表会を夏休みのアルバイトが終わってから見に行きました。
既に終わっていましたが、中年のオジさん・・・(今の俺より若かったけど (^^;))がシャッターを開けて見せてくれました。
 プリンスの新車なのに新技術が何も無かったのが悔しくて、川又克二を恨みました。
  • 2009-10-14
  • 投稿者 : 藤 重行
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[C172] 愛

 キャッチフレーズが前面に押し出された最初の車だったような。
この車に対抗するためトヨタが必死でしたね。
GT-Rが出るまではナンパな車だと思っていました。
  • 2009-10-13
  • 投稿者 : トシ
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藤 重行

Author:藤 重行
 1952年生まれのオヤジが好き勝手に書いてるブログです。
現代の若者達は車など興味が無い子が多いと聞く。
でも旧車会を覗いてみれば団塊ジュニアが、自分とそう変わらない歳の車に夢中になっている姿をよく見かけます。

 '70年代は日本が高度成長して日本が自信を取り戻したいた時代、そして国産車が輝いていた時代だと思います。
そんなキラ星の如く輝いた個性豊かで魅力的な車達を独断と偏見で紹介しています。

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