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[C247] トシさん

 1年もサボってましたが、ご覧戴きありがとうございます・・・<(_ _)>

  櫻井 さんが関わったのは初代からで2代目のS50型ではサスペンションの設計を担当し、『無給油期間の延長化の実用化』で実験担当の奥井四良氏と共に自動車技術賞を受賞してますね。
 7thスカイラインの完成間近で病に倒れ、途中から富士精密工業出身の伊藤修令(いとう ながのり)氏が引き継いだそうです。

 7thはマークⅡの後を追ったハイソカーの雰囲気があり、世間では 櫻井さんの手を離れたからだと言われますが、櫻井さんが倒れたのは殆ど出来上がった頃でで一番弟子と言われた伊藤さんは以後のモデルも櫻井さんの精神を忠実に受け継いだと思います。
  • 2011-02-01
  • 投稿者 :
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[C246] プリンスが好き

 桜井さん亡くなってしまいましたね。
どの辺まで関わっていたか解らないけどプリンスの香りがする車までかな。
ケンメリには香りがしなかった気がする。
35GT-RはもはやスカGとは呼べないような・・・。
  • 2011-01-31
  • 投稿者 : トシ
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[C245] kurumamaniacs さん

 ご心配お掛けしまして申し訳ございません。
体調は別に問題ないのですが、ワタクシは気分屋で凝り性なもので・・・
 書きかけの記事は幾つも有るのですが、書き始めると記憶が曖昧だったり記憶違いが有ったりで資料を漁っている間にテンションが下がってきて未完成のものが山積み・・・(^_^;)

 正月休みはタップリあったので是非プリンスR380を書きたいと思っていたのですが、イザ取りかかると資料が見つからずノッてきた頃に雑用が出来たりでなかなか進まない内に桜井さんの訃報を耳にしました。
 ワタクシごときが独断と偏見で書いた文など桜井さんが目にする筈も有りませんが、やはりサボらず書きたい物を精一杯書くべきだったと後悔しております。
 この手のサイトは常に新しい内容が求められますが、こんな放置状態でも毎日どなたかにご覧戴いてる。
それを承知で何時までも放っても置けないと重い腰を上げた次第です。

 kurumamaniacs さんの記事は時々見させて貰ってましたが、コンスタントにしかも面白くご自分の世界を構築なさって居るのを半ば羨ましく思って居ました。
 そんな方からこのようは励ましを戴けるとは夢にも思ってませんでしたので少々当惑しておりますが、素直な気持ちで宜しくお願いしたいと思います。
ありがとうございました。
  • 2011-01-25
  • 投稿者 : 藤 重行
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[C244] ご無沙汰しております

ご無沙汰しております。旧車カタログコレクションのkurumamaniacsです。
最近、更新されておられなかったようなので、お体をどうかされたかと心配しておりました。
本日、貴兄の素晴らしい記事を拝読させていただき、安心したと同時に、改めて感服致しました。駄文を世に晒し続けている小生としてはお恥ずかしい限りです。
貴兄の記事はとても勉強になりますので、次の記事を楽しみにお待ちしております。
今後とも、ご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
  • 2011-01-25
  • 投稿者 : kurumamaniacs
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プリンス R380 (PRINCE R380Ⅰ)

\R380ⅠA バンク正面


'63年3月に開催されたた第1回日本グランプリで、出場要項を厳格に守り市販車同然のグロリア、スカイラインで出場したプリンス自動車は予想外の大敗を喫した。
続く‘64年の第2回GPでは4気筒1,500ccのS50型スカイラインのノーズを200mm延長し、グロリア用のG7型6気筒OHCエンジンを押し込んだスカイラインGT(S54B)で乗り込んだが、突如現れたトヨタのワークスドライバー式場壮吉のポルシェカレラGTS904がスカイラインの行く手を阻んだ。
このレースでドイツ製レーシングカーに食らいつき善戦したスカイラインに多くの日本人は感動し、スカイライン神話が生まれたが、先進技術と高性能を売りにしていたプリンスが場外の駆け引きは別にしても優勝出来なかった事は事実。

 ‘64年9月、2連敗したヒコーキ屋達は櫻井 眞一郎をチーフに打倒ポルシェを目標に次のプロジェクトを始動させた。これが国産初の本格的レーシングカーR380だった。
同年6月に設計部長の田中次郎がヨーロッパで手に入れたブラバムBT-8の鋼管スペースフレームを強化し、アルミ製のボディーはデザイナーが造った物ではなく、空力を追求した結果を形にした物だった。
この思考は矢張り中島飛行機のDNAなのだろうか?

 フレーム以外にもクラッチやミッション、ダンパー、ブレーキ等は殆どヨーロッパの一流メーカーの物をバランスさせて使っていたがエンジンは完全に自前だった。
S54Bに乗せていたSOHC、ボア・ストローク75mm×75mm 1987cc のG7B型エンジンは大幅に改造され、4バルブDOHC 82mm×63mm 1996ccのGR8型はシリンダーヘッドをアルミ合金にし、潤滑方式もコーナリング中のGでオイルが偏るのを防ぐドライサンプ方式に変更された。
こうして出来上がったGR8型エンジンは殆ど新設計で、出力もG7Bの最終型の190.6Psから232Psと大幅に向上した。


 打倒ポルシェを目指したマシンは完成したが、’65年5月の日本グランプリは中止となり戦いの場を失ったR380ⅠAはその年の10月谷田部の自動車高速試験場に持ち込まれ、国際スピード記録に挑戦した。
10月6日午前10時、杉田幸朗のドライブでスタートし国際自動車連盟FIAの規定によるEクラス(1500cc~2000cc)の記録を次々と更新しながら52周した11時15分頃、時速230Km以上で走っていたR380の左前輪がバーストし、車はコースを外れとボディーを大破したが幸い杉田は左手に軽い怪我を負っただけで済んだ。
あと8周すれば200マイルの記録更新が見込まれたが、ボディーだけではなく左前輪のシャフトも破損していた為この時点で中止となった。
 その1週間後、再び世界記録に挑戦したが今度はトランスミッションのトラブルが発生し記録更新とはならなかった。

この日の記録は以下の通りであるが、谷田部のコースはFIAの公認コースではなかった為、正式な記録とは成らなかった。

R380 Ⅰ広告


\R380ⅠA
   谷田部で国際スピード記録に挑戦した R380ⅠA型 


R380ⅠA エンジン-
 国際スピード記録に挑戦したⅠA型のエンジンルーム
 手前のパイプが燃料補給口



R380ⅠA 事故
    前輪シャフト破損

R380 Ⅰ杉田幸朗
       左手負傷したドライバーの杉田幸朗     
           

 R380の記録(国内) 

       Eクラス国際記録    R380ⅠA型 記録
50Km      230.51Km/h       238.15Km/h
50mile    237.21Km/h       234.40Km/h
100Km    239.35Km/h        234.69Km/h
100mile    229.36Km/h        234.88Km/h
200Km    229.18Km/h       234.93Km/h
1Hr       229.23Km/h       235.06Km/h

R380 Ⅰ ’65 東京モーターショー出品車
    ’65東京モーターショーに展示された記録更新車   

 第3回日本グランプリは1966年5月3日に場所を鈴鹿サーキットから富士スピードウェイに変えて行われた。
この年の8月1日、日産に吸収合併される事が決まっていたプリンスは並々ならぬ決意でGPに臨んだ。
R380は更に進化し、フレームは鋼管の径を大きくしブラバムを基にした新設計で、ボディーのフロント部をアルミからFRPに変え、リアサイドのエアインテークの形状等デザインも細かな変更を施した。
 櫻井 眞一郎を中心とするチームはマシンの性能だけではなく、連日富士スピードウェイを借り切りテストランを重ね、ピットの支援体制も背水の陣を張った。
ここで画期的だったのは燃料の補給方法。
燃料をポンプで送るのではなく、高い位置に据え付けたタンクから落差で一気に流し込む方法だった。
そのシステムにより通常1分ほどかかる給油が僅か15秒に短縮されロスタイムの短縮に大いに貢献した。

 
 この大会でも予想外の強敵が現れた。
滝レーシングチームのポルシェ カレラ6だった。
国産各社が威信をかけて戦う場に、プライベートチームがしかも高価な最新レーシングカーで急遽参加表明することに少なからず違和感を覚えたが、日産のフェアレディスペシャル等の改造車やその殆どをヤマハが手がけ市販を前提としたトヨタ2000GTなどの国産車だけを相手に勝っても意味がない。
日産との合併でプリンスとしてだけでなく、レース活動そのものが最後になるかも知れないチームは何が何でも優勝する事を誓った。
 プリンスは4台のR380をエントリーし、対するカレラ6はプライベートチームで練習時間も短いハンディは有ったがレースの経験値は格段に上だった。
レースは絶対負けられないプリンスはピットのサポート体制も万全でカレラ6行く手を生沢が阻む作戦で砂子が3周の差を付けてフィニッシュ。2位に大石、3位に横山が入った。
 純粋に車の性能だけで勝負したらプリンスはポルシェに敵わなかったのではと思われるが、これまで散々辛酸を舐めてきたプリンスはその名が消え去るほんの数ヶ月前に多くの日本人に誇りと希望を与えてその役目を終えていった。


R380 Ⅰ'66日本GP優勝車
  ‘66年日本グランプリで優勝したR380Ⅰ型


R380 Ⅰトヨタ博物館蔵
   トヨタ博物館に展示されているR380


R380 Ⅰ河北新報
1996年に復元されたR380Ⅰ
         河北新報より
 


全長 3,930mm
全幅 1,580mm
全高 1,035mm
重量  620Kg
エンジン
直列 4バルブDOHC 6気筒
ボア・ストローク 82mm×63mm 1996cc
最大出力 (初期型)230Ps~(最終型)254Ps
最高時速 280~300Km/h 



 ポルシェカレラ6

R380 Ⅰカレラ6 4面図



ポルシェ カレラ6

全長 4,113mm
全幅 1,680mm
全高 980mm
重量  575Kg
エンジン
水平対向6気筒
ボア・ストローク 82mm×63mm 1996cc
最大出力 210Ps/8000rpm 20Kgm/6000rpm
最高時速 280Km/h以上 


※文中敬称略

参考物件 グランプリ出版刊 桂木洋二著 『プリンス自動車の光芒』
     毎日新聞社刊 毎日グラフ 別冊 '66春の乗用車特集
      河北新報   平成8年5月15日朝刊

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[C247] トシさん

 1年もサボってましたが、ご覧戴きありがとうございます・・・<(_ _)>

  櫻井 さんが関わったのは初代からで2代目のS50型ではサスペンションの設計を担当し、『無給油期間の延長化の実用化』で実験担当の奥井四良氏と共に自動車技術賞を受賞してますね。
 7thスカイラインの完成間近で病に倒れ、途中から富士精密工業出身の伊藤修令(いとう ながのり)氏が引き継いだそうです。

 7thはマークⅡの後を追ったハイソカーの雰囲気があり、世間では 櫻井さんの手を離れたからだと言われますが、櫻井さんが倒れたのは殆ど出来上がった頃でで一番弟子と言われた伊藤さんは以後のモデルも櫻井さんの精神を忠実に受け継いだと思います。
  • 2011-02-01
  • 投稿者 :
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[C246] プリンスが好き

 桜井さん亡くなってしまいましたね。
どの辺まで関わっていたか解らないけどプリンスの香りがする車までかな。
ケンメリには香りがしなかった気がする。
35GT-RはもはやスカGとは呼べないような・・・。
  • 2011-01-31
  • 投稿者 : トシ
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[C245] kurumamaniacs さん

 ご心配お掛けしまして申し訳ございません。
体調は別に問題ないのですが、ワタクシは気分屋で凝り性なもので・・・
 書きかけの記事は幾つも有るのですが、書き始めると記憶が曖昧だったり記憶違いが有ったりで資料を漁っている間にテンションが下がってきて未完成のものが山積み・・・(^_^;)

 正月休みはタップリあったので是非プリンスR380を書きたいと思っていたのですが、イザ取りかかると資料が見つからずノッてきた頃に雑用が出来たりでなかなか進まない内に桜井さんの訃報を耳にしました。
 ワタクシごときが独断と偏見で書いた文など桜井さんが目にする筈も有りませんが、やはりサボらず書きたい物を精一杯書くべきだったと後悔しております。
 この手のサイトは常に新しい内容が求められますが、こんな放置状態でも毎日どなたかにご覧戴いてる。
それを承知で何時までも放っても置けないと重い腰を上げた次第です。

 kurumamaniacs さんの記事は時々見させて貰ってましたが、コンスタントにしかも面白くご自分の世界を構築なさって居るのを半ば羨ましく思って居ました。
 そんな方からこのようは励ましを戴けるとは夢にも思ってませんでしたので少々当惑しておりますが、素直な気持ちで宜しくお願いしたいと思います。
ありがとうございました。
  • 2011-01-25
  • 投稿者 : 藤 重行
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[C244] ご無沙汰しております

ご無沙汰しております。旧車カタログコレクションのkurumamaniacsです。
最近、更新されておられなかったようなので、お体をどうかされたかと心配しておりました。
本日、貴兄の素晴らしい記事を拝読させていただき、安心したと同時に、改めて感服致しました。駄文を世に晒し続けている小生としてはお恥ずかしい限りです。
貴兄の記事はとても勉強になりますので、次の記事を楽しみにお待ちしております。
今後とも、ご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
  • 2011-01-25
  • 投稿者 : kurumamaniacs
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藤 重行

Author:藤 重行
 1952年生まれのオヤジが好き勝手に書いてるブログです。
現代の若者達は車など興味が無い子が多いと聞く。
でも旧車会を覗いてみれば団塊ジュニアが、自分とそう変わらない歳の車に夢中になっている姿をよく見かけます。

 '70年代は日本が高度成長して日本が自信を取り戻したいた時代、そして国産車が輝いていた時代だと思います。
そんなキラ星の如く輝いた個性豊かで魅力的な車達を独断と偏見で紹介しています。

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