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[C253] このスカイラインのお話は、

 猫二匹さん

 何時も読んで頂きありがとうございます。
櫻井さんがお亡くなりになってしまった今頃、やっとS54とR380をUP出来ました。
 スカイライン、プリンスに『想い』は一杯有りますが、日本のみ成らず世界中に熱心なファンの方々が沢山いらっしゃいますので間違った事を書いたら大変だと、何度も書き直していました。
結果、まともな文章力も無いのに更に読みにくい稚拙な文章に成りましたが、こんなものでも真剣に読んで頂き本当に有り難いと思います。

 確かにS54を今の時代に持ち込んだらコンパクトカーにも敵わないかも知れませんが、敗戦後独学で一から車造りを始めた技術者達の精神は今こそ学ぶものが有ると思います。
 こんなものを書いても単なる親父の懐古趣味に成るかも知れませんが、自分たちの飛行機作りを禁止されアメリカ機の整備要求されてもそれをを拒否し、独学で車を作り始た人達が居たことを少しでも後生に伝えられればと思います。

 気持ちばかりが先走って誠に読みにくいものばかりで会うが、今後ともご愛読頂ければ幸いです。
ありがとうございました。
  • 2011-02-11
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[C252] このスカイラインのお話は、

本当に感動します。なんか今の自動車は、良くなって1.5Lのファミリーカーで100ps以上有るし、パワステ、AT、パワーウインドー、エアコンを装備した軽自動車が会社の営業に普通にある時代ですが、全然興味が湧きません(>_<)車が、単なる道具になったって事でしょうか?寂しい気持ちを、こちらのブログは癒してくれます。復活嬉しいです。これからも、いろんなお話と、すばらしい資料を楽しみにしてます。
  • 2011-02-09
  • 投稿者 : 猫二匹
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プリンス・スカイライン2000GT (PRINCE・SKYLINE 2000GT) 【S54】

S54 第2回 日本GP 羊の皮1
S54 第2回 日本GP 羊の皮2


 ‘63年3月、鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリで、プリンス自動車はその出場要項を厳格に守り市販車同然のグロリアとスカイライン、スカイラインスポーツで出場したが結果は予想外の大敗だった。
 車の性能向上にメーカーは手出しをしないという工業界の申し合わせが有ったが、他社はメーカーであるトヨタ自動車工業に代わって工業界に加盟していないトヨタ自販がチューンをし、日産は輸出用だと称してフェアレディにツインキャブを装着する等殆ど何らかの手を打っていた。
結果パブリカ、コロナ、クラウンは各部門優勝。グロリアは予選落ち、期待のスカイラインスポーツさえもスポーツカー部門で日産のフェアレディにトップを奪われ7位に入るのがやっとだった。
  これは軽自動車部門も同様で、プリンスと同じ中島飛行機の流れを汲む富士重工が優勝するものと見られていたが、予選でスバル360のタイムを下回っていたスズライトフロンテがスタートから飛び出しクラス1位、2位をさらった。
同じDNAを持つヒコーキ屋のプライドと信念が裏目に出たというか、自分の首を絞める結果になってしまった。
 技術に裏打ちされた先進技術と高性能を売りにしていたプリンスも富士重工も『グランプリ優勝』を大々的にアピールし販売をのばすトヨタ、スズキを尻目に、顧客からの抗議が殺到して販売台数が激減し窮地に立たされた。
  勝つ為に何らの手も打たなかったプリンスの中川常務と田中実験部長は会長の石橋正二郎に呼び出され、『馬鹿正直にも程がある』と叱責された。
彼らにすれば申し合わせを守った結果なのだが、事はそれでは済まず石橋に来年まで待ってくれと言った。

 ‘63年7月、プリンスは中川常務をトップに生産部門の中にレース活動組織を編成した。田中実験部長の下では設計部の櫻井眞一郎、実験部の青地康雄が実務にあたり車の試作を重ねた。
 第2回目からはグランプリの結果が各社の販売に大きく影響する事が判明し、工業界の申し合わせは撤廃された。
櫻井はスカイライン1500のボディーにグロリア用のG2型4気筒OHV1900ccエンジンをOHCに改造して実験を重ね、これで有る程度の性能は達成されたが、次回にはトヨタも同様にコロナにクラウンの1900ccエンジンを乗せて出場するとかヨーロッパからはコルチナ・ロータスが参戦するという情報もあった。
国産車はともかく、ヨーロッパの競合に勝つ為にはより戦闘力を高める必要がある。
 そこで出てきたのが発売されたばかりのグロリアスーパー6用のG7型6気筒エンジンを乗せる案だった。
6月に発売されたこのエンジンは国産初の6気筒OHCで出力も国内初の100Psオーバーした105Ps。4気筒1500cc専用で設計されたスカイラインにG7型を乗せる為、彼らは大胆にもエンジンルームを途中で切り、200mmm延長してG7型ぶち込み、11月の末には上司の承諾を受ける事もなくスカイラインGT(S54B)の試作車3台とレース用5台が制作された。
 この計画が社内で事後承認されたのは翌年の1月の事だった。
しかし改造車ではなくグランドツーリングカーとして出場するには、申請最終日にあたる3月15日までに100台以上を生産してホモロゲーションを取得する事が必要だった。
慌ただしく運輸省の認定試験を受け、生産ラインから抜き取ったS50のエンジンルームを切断して延長部分を挿入し、ボンネットも2台分を継ぎ接ぎする作業が昼夜も関係無しに進められて何とかホモロゲーションは取得することが出来た。
 これは奇跡的な事で、技術屋の情熱が波紋の様に広がり多くの人々を動かした結果だったのだろう。
100台の内の90台がグランプリ直前の5月1日にスカイラインGTとして88万円で発売された。エンジンは105Psのノーマル仕様だったがチューンナップ可能な事もあり、瞬く間に完売した。

 プリンスは車の戦闘力を高めるだけでなく、第1回から参加した生沢徹の他にも横山達や砂子義一、大石秀雄等のドライバーも育成した。
彼らは勝つ為の契約ドライバーだが、このレースには他に社員ドライバーが数名参加している。
プリンスのレース活動は特別編成部隊ではなく市販車の設計、制作部門がそのまま参加していた。他社には無いこの体制は飛行機屋なら当然のもので、レース活動を実験と捉え、そこで得たノウハウを即市販車に生かすという考えに依るものだった。

S54


  これで雪辱を果たせると誰もが信じていた第2回GP開催直前に思わぬ強敵が現れた。
トヨタのワークスドライバーだった式場壮吉が突如ポルシェ・カレラGTS904で参戦する事が判明したのである。
如何にS54が3連キャブで165PS(S54R型)を絞り出し、車高を下げ10mmトレッドを広げていたと言っても、重い6気筒OHCエンジンを積んだ極端にフロントヘビーのFRセダン。足回りも後輪はリーフスプリングの一体懸架で車重は1100Kgもあった。
 対するカレラ4は確かに100台生産された市販車に間違いはないが、直前の4月1日に認定を受けたばかりの本格的なレーシングカー。梯子型フレームにFRPボディーを纏いエンジンは水平対向DOHC4気筒180PSをミッドに載せ、車重もたったの650Kgで最高時速は263Km/hに達していた。
とても泥縄式に作り上げたスカイラインが太刀打ち出来る相手ではなかった。


 それでもプリンス勢は予選を1.2位で通過し、ポールポジションは生沢徹が、2位は砂子義一が獲得し、4位以下も4台のS54Bが続いた。
式場のカレラ4は日本に届いたのが開幕直前で予選は3位に入ったが、雨でスピンしてボディーを大破して急遽名古屋まで運び、僅か2日で応急修理を済ませて鈴鹿に戻ってきたのはスタート4分前だった。
 レースは終始カレラ4が先行していたが7周目には生沢が抜いた。8周目には再び式場に抜かれたものの、この光景を目にした観衆は総立ちになった。たった1周とはいえ国産のセダンがヨーロッパのレーシングカーを追い抜いたこの事実は大きな感動を呼んだ。
結果は優勝がカレラ4、2位がスカイラインの砂子義一で以下6位までは全てスカイラインが独占し、3位が生沢徹、4位が古平勝、5位殿井宣行、6位須田祐弘と続いた。
後生に続くスカイライン神話はここから始まったのだ。
 
※このレースについてはトヨタがプリンスの優勝を阻止する為に式場に資金提供したとか、3位に着けていた砂子が生沢を抜いて2位に入ったのは8周目で抜かれた生沢が真剣に式場を追わなかった等と諸説有るが真相は不明である。

S52B 第2回日本GP ポールポジション

第2回日本GP S54対カレラ4-s

S54 第2回 日本GP 対カレラ4-2


 レースには敗れたが、人々は優勝したポルシェよりも健闘したスカイラインを熱狂的に支持した。プリンスにはこの車を100台以上の生産をする予定は無かったが、市場の要求に応えて翌‘65年2月ウエーバー3連キャブ、125Ps仕様がスカイライン2000GTとして発売された。大卒初任給が2万円程の時代に89万円は誰でも買える価格では無かったがウエーバー社の供給も含め生産が需要に追いつかない状態だった。
 同年9月にはより実用性を高めたグロリアスーパー6用の105Psエンジンを搭載した仕様が追加発売され、以後このモデルをGT-Aと命名して従来の125Ps仕様はGT-Bと呼ばれる様になった。
両者はボンネット上のエンブレムの色で識別され、GT-Aは青バッヂ、GT-Bは赤バッヂと呼ばれる様になった。

S54-B

S54-A

S54 赤

S54 GTカーの神髄

S54 赤Fl

S54 ライバルが欲しい

 翌'64年のグランプリは中止になり、'65年以降プリンスのレース活動の主役はR380に移っていったが、S54は更に進化を続けてレース用の最終型はエンジンはOHCのままながら191Psに達していた。
‘66年8月1日にプリンス自動車は日産自動車に吸収され車名も『日産プリンス・スカイライン』と変わったがその人気は衰える事はなかった。


日産自動車と合併後のモデル

S54 n GT-B

S54 nGT-A

S54 nインパネ・リア

S54 第14回('67) TMS

S54 第4回日本GP

S54 n広告

S54 スペック

S54B 仕様



当時スカイライン2000GTがライバルとしていたヨーロッパ車達


S54 Ford コルチナ・ロータス

英フォード 【コルチナ・ロータス】
1300cc~1600ccのファミリーカーのコルチナにロータスがチューンした125E型エンジンを載せたセダン。
このエンジンはロータス・エランに搭載されていた物とほぼ同じ。
全長4267mm 全幅1648mm 全高は基本モデルより17mm低い1372mm
ホイールベース 2489mm
エンジン 直4 DOHCツインチョーク 1558cc 117Hp/5400rpm 15.5Kgm/4500rpm
最高時速 174Km/h
前輪 独立コイルスプリング 後輪 一体懸架コイルスプリング
1967年東京価格 234万円


S54 Arf ジュリアTI
  アルファロメオ 【ジュリア・スーパー】
当時国営化されていたアルファロメオの一番小さいクラス(1300cc~1600cc)のセダン。
全長4140mm 全幅1560mm 全高1430mm ホイールベース 2510mm
エンジン 直4 DOH 1570cc 112Hp/5500rpm 13.25Kgm/2900rpm
最高時速 175Km/h
前輪 独立コイルスプリング 後輪 一体懸架コイルスプリング
1967年東京価格 195万円

2件のコメント

[C253] このスカイラインのお話は、

 猫二匹さん

 何時も読んで頂きありがとうございます。
櫻井さんがお亡くなりになってしまった今頃、やっとS54とR380をUP出来ました。
 スカイライン、プリンスに『想い』は一杯有りますが、日本のみ成らず世界中に熱心なファンの方々が沢山いらっしゃいますので間違った事を書いたら大変だと、何度も書き直していました。
結果、まともな文章力も無いのに更に読みにくい稚拙な文章に成りましたが、こんなものでも真剣に読んで頂き本当に有り難いと思います。

 確かにS54を今の時代に持ち込んだらコンパクトカーにも敵わないかも知れませんが、敗戦後独学で一から車造りを始めた技術者達の精神は今こそ学ぶものが有ると思います。
 こんなものを書いても単なる親父の懐古趣味に成るかも知れませんが、自分たちの飛行機作りを禁止されアメリカ機の整備要求されてもそれをを拒否し、独学で車を作り始た人達が居たことを少しでも後生に伝えられればと思います。

 気持ちばかりが先走って誠に読みにくいものばかりで会うが、今後ともご愛読頂ければ幸いです。
ありがとうございました。
  • 2011-02-11
  • 投稿者 :
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[C252] このスカイラインのお話は、

本当に感動します。なんか今の自動車は、良くなって1.5Lのファミリーカーで100ps以上有るし、パワステ、AT、パワーウインドー、エアコンを装備した軽自動車が会社の営業に普通にある時代ですが、全然興味が湧きません(>_<)車が、単なる道具になったって事でしょうか?寂しい気持ちを、こちらのブログは癒してくれます。復活嬉しいです。これからも、いろんなお話と、すばらしい資料を楽しみにしてます。
  • 2011-02-09
  • 投稿者 : 猫二匹
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藤 重行

Author:藤 重行
 1952年生まれのオヤジが好き勝手に書いてるブログです。
現代の若者達は車など興味が無い子が多いと聞く。
でも旧車会を覗いてみれば団塊ジュニアが、自分とそう変わらない歳の車に夢中になっている姿をよく見かけます。

 '70年代は日本が高度成長して日本が自信を取り戻したいた時代、そして国産車が輝いていた時代だと思います。
そんなキラ星の如く輝いた個性豊かで魅力的な車達を独断と偏見で紹介しています。

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